2013年11月18日月曜日

生きる焦点をどこに当てるか


今日の出会いは、二年と半年が過ぎた志津川地区、仮設集会所から始まりました。

かつてのにぎわいはなく、限られた人数での開催です。自宅再建による転居、アルバイト、デ―サービス利用、通院や入院など生活を落ち着かせ、仕事やサービスを入れて、今を生きようとされるそれぞれの方の姿がここにあります。残された住民の方は、共に過ごしたお茶飲み仲間と別れを告げ、老化する体とはっきりしない将来を前に、寂しさと無力感を感じていらっしゃるようでした。うんと苦労して生きて来られた方でも、一抹の寂しさ、今の苦しさを味わわれています。

移りゆく状況、揺れる心。人は移りゆくものにただただ翻弄されるしかないのでしょうか。

 

スタッフがそれぞれ個別に訪問させていただいた午後も、変化する状況の中で生きる人々の姿に出会いました。

二年半たった今になって何らかの理由で集会所でのお茶会ができない仮設住人の苛立ち、マイホームに移り住むことができたのに、かえってやる気が起きなくなり、人間関係で苦しんだ過去の職場を思い返す自宅再建者の方、津波で残った家の近くの見晴らし台で遠くを見つめる方、家の再建もままならず、家族関係に打つ手がない中、近くに住むことになった同級生の家に顔を出し胸の内を吐露される方。それぞれの思いを胸に、今日も生きる選択をしていきます。

ある方は、心に留まった新聞記事を切り抜き、ノートに貼っていきます。心に留まる記事を詳しく見せていただくことはありませんでしたが、「これこそが大切な事」というご自身の信条がきっと隠れていることでしょう。

震災や津波によって、この世のほとんどのものが「移りゆくもの」であると学んだ方は少ないでしょう。究極的な状況の中で見た「大切なもの」。しかし、しばらくすると再び「まさか」の出来事に体や精神、心が奪われていく現

実を目の当たりにします。

改めてこの厳しい現実をどう生きるのか、本当に大切な事は何か、生きる焦点をどこに向けるか、大切なことへのまなざしをどう向け「続ける」か、考えさせられました。(記:林)

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