2013年9月30日月曜日

出会いが広がっていくために・・・移動カフェ

役場周辺のエリア
 これまで仮設住宅やみなし仮設住宅で、ケアカフェ心香を開いてきましたが、大きな課題を感じていました。それは、仮設住宅でカフェを開いても出会える人には限度が絶えずついてまわる事でした。
 カフェを開く平日の日中に仮設住宅に居られる方は、どうしても高齢者が多くなってきます。若い人や現役で働く人たちにはなかなか出会えず、また心のケアという言葉や機会が広がっていきにくいという事を課題として感じていました。また、体の不調な方や様々な事で苦しんでいるような人の多くにも出会えていないという事も課題として感じていました。


 このような課題を前に、以前より多くの人との出会いや心のケアの意識が広がる機会を求め役場や公立病院、社会福祉協議会、図書館などが集中しているエリアでカフェを開けないか思案していました。また訪問で出会った方が、病院での待合時間に休めるような場所も少ないという声を耳にしていましたので、可能なら病院に来られる方々も利用できる場所や方法も併せて考えたいと思っていました。
 今日、その願いが叶い、始めて「移動ケアカフェ」を役場周辺のエリアで開催する事が出来ました。


 キャンピングカー(マッシュ号)を準備し、タープを張り幾つかのテーブルとイズを置いた簡単な空間ですが、ケアカフェ心香という手作りの垂れ幕を掲げ、来られる方々にケアカフェの雰囲気やゆっくり話を聴いてもらえる機会を味わってもらえるよにしてみました。
 朝、10時頃から始め昼食時間をはさんで15時近くまで開きました。トータルで利用者は、31人に及びました。

 病院に来て帰りのバスが来るまでの間に立ち寄られた方、役場に用事を済ませ何だろうかと立ち寄られた方、役場で働く職員、図書館に来て立ち寄られた方、県外から今ついたばかりの方、等・・・、来訪者は多岐に渡り出会いは本当に豊かでした。

その中でも、津波の被害には遭わなかったもののショックで家族が亡くなった女性・・家が流されずに済んだために支援が受けられずに苦しい想いをしてきた人・・これまでの自分は我慢ばかりして自分を出せずに苦しんできた人・・・・等、訪れた方がたの中には、苦しい想いを少し吐き出されて帰られたも居られ、ケアカフェの役割を果たせた感じもしました。


 今日が「移動カフェ」の初日です。まだまだ周知が十分ではないので多くの人の目に留まる
 には工夫がいるでしょう。今日は、役場の方がビラを配る際にいろいろ教えてくださり本当に助かりました。その配慮に心から嬉しくなりました。今後も定期的に開催していくことで、多くの方方に意識していただけるようにしていきたいと思います。また、病院からは少し離れているという声を聞きましたので、どのような工夫なら必要な方方に助けになるかも考えて行きたいと思います。(記:宇根)



2013年9月27日金曜日

魂の耳で聴く


気温がぐっと下がり、秋の気候になりました。

パソコンに納めた画像を見せながら
朝は高野山講演帰りのHUGさん・宇根さんとのお帰りHUGから始まりました。


高野山の写真集を見て
イメージを湧かせます。
ミーティングでは、高野山での体験・講演内容が分ち合われました。スタッフは写真を鑑賞しながら、話を聞いていました。講師としての待遇は、一級品。豪華で整えられた宿坊や国宝級の建物見学の体験を興奮気味に分ち合われるお二人。最後に、様々な宗教・宗派の慰霊塔、また戦争の敵味方の慰霊塔が隣り合わせに建てられている意味が分ち合われ、全てを受け入れる高野山の懐の深さ、大きさに感動して聞き入っていました。
今日のHUGハウス活動の帰りには、高野山からのお土産をいただきました。上品で由緒正しいお菓子を頬張りました。ごちそうさまでした!


 

参加者のお手製お料理も並ぶ。
さて、本日は見なし仮設の定例カフェです。10名の方が参加され、スタッフ5人と共に時間を過ごさせていただきました。スタッフは、それぞれ分かれて耳を傾け、様々な思いを受け取ります。

ある方にとっては、看取りによる一つの区切りと介護の達成感、別の方にとっては怒り、またある方は、震災による後悔や迷い、自責の念、そして現在抱えている祖母としての思いや忍耐を話してくださいました。

「人生は色々あって踏ん張れるけど、『まさか』はね…」


人生には苦労が付きもの。苦労はある程度耐えることができますが、思いもよらない災害や事故、人間の力では回避できないようなどうしようもない事柄「まさか」は、突然の事。準備もできない、見通しも立たない「まさか」は、「一番きつい」(参加者コメント)と語られます。「まさか」の体験が今でも生々しく心に残り、今や会うことのできない家族のあの表情、あの言葉が今でも目に浮かびます。

一方で、自分の力ではどうすることもできない災害で助かった命を「さずかりいのち」と語られる方がありました。感謝の心とは裏腹に、必死に命をつないだが、はて、これからどう生きるか・・・・忍耐と模索は続きます。


お話しが深まる中、HUGさんによる、ワンポイント・ミニ学習会が行われました。


ミニ学習会の様子。
 会ではまず、このカフェの目的が「心のケア」であること、だから参加された方のお話をスタッフは「丁寧にお聴きしたい」ことが確認されました。
 続いて、5枚の紙に五つの次元の耳が示されました。
5つ目の耳は、魂の耳です。いのちの痛みがあるならば、それは魂の耳でしか聞こえてきません。誰しも体験するであろう「いのちの痛み」を分かち合える人、場所は、誰でも必要です。家庭においても互いに魂の耳で聴き合えると良いですが、互いの距離が近すぎて返って分ち合えない時があるでしょう。そんな時、信頼して深いレベルの話ができる友達や外部の人がいると生きる上で、大きな支えになるでしょう。



 
 参加者の皆さんの中には、信頼して話せる友がいるという方もいらっしゃいました。しかし大半の方は「分かっているけど、なかなか自分の気持ちは言えない。」「寝ても覚めてもそのことを考えるから言うということがあるが、なかなか言えない。」という意見にうなずかれていました。
 長い人生を経験していらっしゃる方々にとっては、心や魂の叫びは感じていても、なかなか家族や適当な人に言えないというのが現実のようです。

 「だから、このようなミニ学習をみんなに聞かせ、意識を共有したい」とコメントされる参加者もありました。
 
 

 少なくとも今日この学習会を聴かれた方々が、家庭や周りの方々との間で、ハートとハートの会話ができるようになると良いなと願うばかりです。自分の正直な気持ちを話す事も、聴く事も恐れずに、またマナーをもって。
 
午後からは、HUGハウス通信の作成や、移動カフェの準備が行われました。



(上)すみちゃん・けいちゃん、発送前作業。
(中)HUGさん・おしょうさん、通信や事務仕事。
(下)ゆうちゃん・本日記者、移動カフェ用旗作り。

地元スタッフようちゃん・るみちゃんの今日の訪問は、魂の痛みの共有という苦しいものだったのかもしれません。午前中の某老人施設訪問では、これまで何度となく訪問させていただいたHさんの様子がいつもと違います。はっきりとした口調で辛辣な心の痛みを繰り返し、繰り返し訴えられるのです。

「さびしくなると、夜いっぱい涙を流して泣くの。」

これまで聞いた事のないお話しに、スタッフは戸惑います。

手を握りしめ、「あんた温かい手だね~。」スタッフが返ろうとする手を離しません。



スタッフも心が痛みます。
 この方にこんな想いをさせる原因をはっきり知る術がないスタッフは、居たたまれない気持ちでいっぱいでした。
 90歳を超えて、なお人生の苦しみを味わわなければならないのでしょうか。この苦しみには、何か意味があるのでしょうか。苦しさを共有したまま、そこを後にしました。

 午後からの訪問も、苦しみを伴います。
 震災後に入った仮設環境は過酷を極め、行き場のない家族の心に亀裂をもたらしたのです。新居を構えた今でも一緒に暮らせない… 「あんなによくしてあげたのに」

震災自体より、家族が離ればなれになった事にショックで落胆する祖父母。時は流れ、スタッフにはカラッと話をされますが、悶々とした思いは解決されていません。
時しかお互いを癒せないのでしょうか。スタッフも少なからずショックを感じ黙り込みます。帰りのミーティングに戻る二人の重い足取り。
 

 魂の耳で聞くというのは、全身活動であることを実感します。心を使うこと、魂に触れることは、想像以上にエネルギーを放出するのです。弱さと限界のある人間同士の関係。
 
 最後にはやはり、祈りしかないのでしょう。(記:林)






 





 

2013年9月26日木曜日

自分の足で歩く


いっぱいのしそを前に
朝のミーティングのため、大雄寺に着いたら、脇の門のところで何やら作業をしている方々がいらっしゃいました。しその実取りです。二人の高齢女性が、慣れた手つきでしその実を取っています。しその香りがただよってきます。よく見ると、なんと時々訪問させていただいている方でした。「満面の笑みで、生き生きした表情」(コメント:地元スタッフ)を見せながら、私たちに声を掛けて下さいました。スタッフは、こんなに良い表情をされているこの方を拝見したことがなかったので、とても嬉しい気持ちになりました。「できることがある。手伝えることがある。私の人生を生きている。」そんなメッセージを受けているようでした。震災によって、今までできた友人との付き合いや、思い通りに外出できた環境が一変し、今はほとんど家にいらっしゃるこの方。実は体にエネルギーが沢山詰まっていて、近所の方とのしその実取りは、本来の彼女を取り戻していたようでした。
「今日もお世話になります」
とさりげなく手を合わせる地元スタッフ
大雄寺にて


いただいたバナナドリンク
さて、今日もミーティングを始めていると、お寺の方からバナナドリンクの差し入れがありました。さりげない心遣い、気遣いをいただき、スタッフは今日の活動のエンジンをかけます。


午前中は、三滝堂で事務作業をしました。まもなく出来上がるHUGハウス通信「こころの風」の為の郵送準備です。
手早く作業を進めるスタッフ

HUGさんとおしょうさんは、高野山でのトークをこなし、今夜志津川へ戻る予定です。

通信をご期待ください。

さて、スタッフは、昼食の時間を使って、某仮設Mさんと面会します。

「お昼ご飯を一緒に食べる。」それだけの事ですが、Mさんにとっては、仮設の住環境から外に出て、同世代の人と一緒に食事をするということは、とても意味のある事なのかもしれません。「ガールズトーク」を普通にできる。ある人にとっては「普通」の事でも、そうできない方があるのかもしれません。「HUGハウスの活動がなければ、出会うことがなかったかもしれない。」(コメント:地元スタッフ)介助が必要なMさんとの交流は、スタッフにとっても、人間観や社会観、コミュニケーション方法に変化をもたらすのかもしれません。

腰かけて親しく会話をするスタッフ
午後は入谷方面の仮設を訪問してみました。集会所に、人がいるのが見えます。声を掛けに中に入ると、スタッフの一人の知り合いばかり!小学生以来の久しぶりに会った高校生諸君を前に、興奮気味に声をかけるスタッフ。一人ひとりと近況を分かち合います。時々見せるあどけない素朴な笑顔と他愛のない会話。小さい頃から彼らを知り、成長を見てきたスタッフは、十数年の中に詰まった様々な困難や苦労を想い、しかし、今こうして友人と共に笑って過ごせている様子を目の当たりにし、感慨深げに彼らを見つめます。困難に遭遇し、砕かれ、立ち上がり、周りの人に支えられながら、自分の足で歩いている。力強いです。
「こんなに高校生と語れることがとても珍しい。」(コメント:地元スタッフ)
世代やジェンダーを越えて、語り合える関係があるのは素敵ですね。




帰りのミーティングの為に車を走らせると、
窓越しに見える秋の風景。




お目当ての方の訪問は不在のためできなかったものの、このような思わぬ再会、出会いができ、良いサプライズを味わいました。(記:林)


2013年9月25日水曜日

心ならし、灰ならす


「秋風が心地よい、晴れの日。志津川地区の仮設を訪ねた。

7月以来、訪問記録のないAさんを訪ねる。

嫁ついで50年間のお話し、考え方、感じ方をうかがった。

今も事情があり、息子夫婦、孫と離れて生活されている。

『先の事を考えると不安で眠れない時がある』事や、

自宅横のヒマワリは、
必死に太陽を向いている。
孫に『おかえりなさい、いってらっしゃい』を言ってあげたいと語っておられた。

この震災は、大きな物を奪っていった。物だけでなく、思い出も、形も…。

一度変化した形は容易には直らない。

語るAさんのお顔を見ながら、アイコンタクトするこちらまで、自然に涙が流れてしまった。また、お話を聞かせて下さいね。」

本日の活動をこう綴る地元スタッフのゆうちゃんは、様々な思いに胸打たれていました。並々ならぬ努力をして一生懸命生きてきて、さあその実りを味わう時、報いを受ける時というその矢先にこの震災。「人生っていったい何?」答えのない問が投げかけられます。すっかり流されてしまったことに、握りこぶしをプルプル震わせ、涙をぽろりと流されるAさん。共通の震災体験や様々な人生経験を持つゆうちゃんには、Aさんから発せられる言葉一つ一つの意味と重みと実感します。

「ハートとハートがつながればいいから。」

Aさんの深い信念は、理不尽な人間関係のいがみを越える力となっていることでしょう。同時に、「ハートとハートをつなぐ」には、時間と忍耐が必要である事を学びます。

古希を過ぎた今もハートをつなぐ努力が続けられています。

「心均して灰均す」

仏壇に居る夫とその両親を拝む前には必ず、お線香を立てる灰をきれいに均し、そして手を合せて拝めば、不安でいっぱいの心も次第に平らにならされ、穏やかになる。Aさん独自のスピリチュアルセルフケアと言えるでしょう。

HUGハウスでも、活動前の「沈黙」は「心をならす」大切な時間です。

 

さて、以前から某仮設のNさん入院の知らせを聞いていた地元スタッフるみちゃん、ようちゃん。病院訪問のため一路車を走らせます。


病院とは不思議な空間です。生死を彷徨う人々、その方の人生を彩るような面会の方々とそこで起こっているドラマを見ることができます。そんな空間の中を歩いていくスタッフ。面会者がドレスを持って病人に見せる姿が目に入ります。この患者さんの「いのち」は短いのかな…スタッフは、いのちの神秘、人の在り様を深く思い巡らしていました。

さて、Nさんの病室にたどり着きました。久々に見るNさんは、体に管をたくさん付け、酸素マスクをして苦しそうにしています。しゃべりたそうにしていますが、言葉にならず、一言「こんなに弱くなってしまって…。」

このような状態を目の当たりにしたスタッフは、あわてて「病院にいれば安心だから…」と言葉を掛けます。様子を伺っていると、だんだんいたたまれない気持ちになってきます。Aさんにとって入院は、単なる身体的な回復を待つ場所ではないのかもしれません。背景にある様々な心の痛みの要因を思い巡らし、Nさんが「苦しかった」と吐露された時、スタッフは「一番心にグッときた。」(コメント:ようちゃん)ようです。

スタッフは、土産話を持ってきていました。Nさんが大切にされていた畑を今、Nさんのお孫さんが一生懸命耕しているということです。Nさんはこれを聴き、安心されているようでした。安心の表情を慰めにスタッフは退室しました。

 

 同じ病院に3か月前に入院された方がありました。地元スタッフは、朝のミーティングで、最近同じ名前の掛っている葬式を見たと申し送ります。入院前には苦しそうにされていたHさん。高齢にも関わらず毎日病院へ通い、看病する妻のSさん。午後はこの方々を訪ね仮設に向かいました。玄関先にある花の束。何を意味しているのでしょうか。お部屋に声を掛けてみます。すると虫の知らせは当たっていました。Hさんは数日前に、転移先の病院で静かに息を引き取られていました。やせ細った妻のSさん。スタッフは中に入らせていただき、お線香をあげ、Hさんのご冥福を祈ります。写真の中で笑うHさん。

3か月前同じ場所で、苦しそうに息をしながら昔の仕事の話を生き生きと話してくださった様子が目に浮かびます。臨終の床では、命を取られてしまうことに悔しそうな表情をされていたようです。しかし息を引き取られた最後は眠るように穏やかな顔になっていたとSさんは話してくださいました。いのちの完成がここに一つ。

 

るみちゃん、ようちゃんは、90代の女性の方を訪問しました。いつもは寡黙ですが、今日はお話しして下さいました。テレビドラマ「おしん」のような時代に育ち、苦労をされたFさん。体が思うように動かない今でも、自分の身なりを整え、スタッフの声かけにさっと出て来られます。お話の端々に、他者への思いやりや気遣いを感じさせます。「今は幸せ。」と話される顔は、きれいでつやつやしています。手押し車を引きながら、凛と立つ姿と輝きは、彼女の人生観を表しているようでした。今日の出会いに感謝です。(記:林)

 

 
 
 
 
 
 
 

2013年9月24日火曜日

ここにいる意味


ときどき活動で出会う方から、「あんたたちは何しに来たの?」「あんたはだれ?」と聞かれることがあります。以前のブログで、このような場面に出くわした場合、スタッフがどのように説明するかと話し合ったことを紹介しました。

 今日は特に、地元スタッフ「けいちゃん」にとって、出会った方の質問は考えさせられたようです。
「あんたたちは、『慰安婦』か?」

 そう言われて、歯切れの悪い説明をしてしまったと振り返るスタッフ。

私達は一体何をしているのか?どんな役に立っているのか?
「ここにいる意味」はあるのか。
施設で掲示してある写真を見ているスタッフ

今日の活動では、その質問に答えるかのような出会いがありました。

 

 午前中は、志津川地区の某老人施設を訪問。スタッフ4人がそれぞれに訪問。心に触れる出会いがありました。

 写真が趣味だという男性Nさんは、前回の訪問でスタッフを写真に納め、現像したものをスタッフに渡してくださいました。「そろそろ来る頃かな。」そう思って、スタッフとの再会を待っていらっしゃったようです。お互いの存在を確認でき、認め合うそんな関係になって来ているようです。


今日の海は秋の高潮。
風景は穏やかで、震災の爪痕は
手前に見える平地。
「震災で全部流されたから…」
写真など一切を流されてしまった人を再び写真に納め、本人に渡すことは、Nさんにとって意味あることのようです。出会った方へのせめてものご奉仕、同時に、自分の楽しみ、「ここにいる意味」を見出せる喜びにもなっているようでした。スタッフは、喜んでNさんの撮影された写真をいただきました。

「関わっている方がちょっとづつ元気になっていく様子が見られて嬉しい。」(コメント:すみちゃん)

 


 地元スタッフけいちゃんにとってFさんとの出会いは、また特別です。先ほどの「あんたは何者?」の質問者ですが、さらに質問をかぶせます。
「聴きたくない事、聞かされたらどうするの?」
…じっと伺っていると、それは実はFさんに関わる事でした。つまり、本当は「聴いてほしい」「自分の今の気持ちを表したい」のシグナルでした。心に溜まっている事、不安な気持ちを時間の許す限り話されたFさん。次第にこわばった表情が変わってくるのが分かります。「また聴いてくれる?」そう言って、今日の話を終えられたFさん。

「何のために来ているのかとスタッフとしての私が試されているようだ。」(コメント:けいちゃん)と思いつつ、しかし最後のFさんの言葉に信頼しながら、今日の活動を振り返りました。

 


食器棚に飾られた「手のひら地蔵」
 地元スタッフゆうちゃんの今日の出会いも、とても考えさせられました。今だから話せる様々な人生の話。人生の告白をしながら、過去の自分と和解しようとしているのでしょうか。そして、施設で暮らすことに対し、「みなやさしいし、ご飯も三食ついて良い。」と何度も何度も話されていました。様々な関係や状況から、どうしてもここにいなければならない理由があると分かっていながら、「ここにいる説明を自分にしているように感じた。」(コメント:ゆうちゃん) 自分を納得させながら生きていらっしゃる姿にグッときました。

 

午後からは、個別訪問などに出かけました。
保険の相談に
社協に出かけたスタッフ

個別訪問とはいっても、荒砥でお借りしている事務所の大家さん。

思いを込めて「手のひら地蔵」をお渡ししました。そして、お話を伺っているとだんだん気付いてきた事がありました。それは、以前は大家さんご自身が誰かに話を聞いてほしい様子でしたが、今はどうやら出会う方々の傾聴をされているのです。地元スタッフは、「もしかしたら、HUGハウスの事務所がここにあるということも影響している(=この場所に事務所がある意味がある)のかしら?」とポジティブに受け取ってみましたが、いずれにしろ、互いを大切に聴きあう文化が広がると良いなぁと大きく希望をいだきました。(記:林)
 
 
 
 


2013年9月20日金曜日

家族の絆を考えさせられる

震災で流されてしまった町の中のある一角に畑があります。この畑に、毎日のように通いつめる姿をよく見かけたそうです。震災前も畑で採れた野菜を売りにきた姿も地元スタッフはよく覚えています。
 「わたしはね、畑があるから救われているよ、毎日毎日、畑に行くのさ。」

こう話していたのは、この畑の持ち主の女性。よくカフェに来ては、畑の話を聴かせてもらいました。畑まで押して行った手押し車に座り、一休みをしている姿も思い出します。・・・今、その方は病院に入院中です。「夏の暑い中が過ぎ、家族の不幸が続き、倒れたのだろう」と同じ仮設住宅の友人は話していました。病院のベッド上で、さぞかし畑が懐かしいのでは。

今日、畑を見に行ってきました。すると、畑は綺麗に草が刈られ野菜も手入れされていました。話によると、若い方が慣れない手つきで畑の手入れをしていたようです。そういえば、その方が大事な姪御さんの話をしていたのを思い出します。その子の事を良く話していました、その子はおばあちゃん子だったって。その姪御さんがおばあちゃんの留守の間に大事な畑の手入れをしているようです・・・。
 どんな思いで、畑の手入れをしているのでしょう・・・。大事なおばあちゃんの姿を畑の中に見えるようです。


今日は、志津川地区の仮設住宅でのケアカフェ心香の開催でした。
小さな仮設住宅で日中におられる方も少ないのですが、こころのケアへの意識はとても高いところです。会長さんもケアカフェは「こころのケア」のためと言われ積極的に参加され理解もあります、今日も終始参加されて日々の想いを地元スタッフと分かち合っておれれました。
カフェに参加された方々も、それぞれが今の苦悩や楽しみを分かち合ってくださっていました。話題の多くが、家族の絆についての内容のようでした。支えになっている絆、苦しくも感じている絆・・・・、分かち合いにスタッフも涙したり笑ったりの時間でした。


午後には個別訪問も行いましたが、そこでも家族の絆を考えさせられる出会いがありました。先日、妻が旅立った男性の部屋を訪ねた際に、その男性が「こっちに来い、こっちに来い って言っているんだよな・・・寂しいな」と今の気持ちを教えてくれました。「それでも、こっちに居る方が話し相手も居るしいいんだよな」と話す思いをしっかりと受け止めてきました。自分の事を気にかけてくれている人がここには居る・・・そんな新しい絆を感じてもら会える時間になったら良かったと思います。(記:宇根)









2013年9月19日木曜日

不自由さの中でも今を生きるには

先日の台風の影響で、多くの場所で被害がありました。その映像はここ被災地でも多くの住人の心に響いたようです。

ある女性が話してくれたのは・・。
「震災後に避難していた場所に来ていたレスキュー隊が京都の人だったのを覚えている・・・大変な時に助けに来てくれたんだろと思うと、今回の洪水で京都が大変になったのを聞いて、なんとかしてあげたいと思ったんだけど・・・、でも、何も出来ないんだよね、この状態では・・」
人として助けられた恩を何とか返したい。
そう願うのは至極当然でしょう。ただただ、支援を受ける側に回るのではなく、自分も助けてくれた人たちのために役立てたいと願うのは尊い、心の動きです。話してくれた女性はお礼を返したくても返せない状況、今でも津波の記憶が蘇りその思い出を忘れることにも未だ未だ時間が必要な自分を感じているようでした。世間話をしていても、すぐに津波の話に戻ってしまう事や、仮設の暮らしが更に不自由さを感じさせているのかもしれません。
この地で生きる・・
 
また、ある在宅で暮らす女性を訪問すると、「いろいろ旅に出かけたい・・、夢にまでみるほどに。でも出かけられない。ここに居ないといけない。ここに居ないとだめなの、ここで生きないといけない・・・」と分かち合ってくださいました。出かけられない自分、自由に自分の思いのままに出ていけない不自由さ。それを受け入れて生きなければいけない苦悩・・・を語られていました。ここにも、不自由さを感じました。

津波という経験や被災地での暮らしは、いろいろな不自由さをもたらしているようです。


今日は、志津川地区の仮設住宅でのケアカフェ心香開催でした。参加された方には、仮設住宅にばかり居ても気が滅入るし変になりそうだからと、毎日何をしようかと考えることで滅入っていく自分と戦っていると教えてくれました。「毎日、奇跡の出会いを求めて出かける」と話してくれたのが心に残っています。仮設から出かけていけば、偶然に誰かに出会えるので、その出会いを毎日の奇跡の出会いと呼んでいました。
 一つ一つの偶然のような出会いを、生き生きとさせる奇跡の出逢いと名付けるくらいの日々。
暮らしの大変さと日々の努力に頭が下がります。


写真を嬉しそうに
お礼にと作った手芸品
午後には、先日三滝堂HUGハウスで行った「COCOタイム」の時の写真を差し上げに仮設を訪問。参加された皆さんに写真を手渡してきました。皆さん、喜ばれていました。悲しい出来事があっても見ていて慰めにすると言われる方もあって感激しました。お礼にと、手芸品をと見せてくれた思いにも・・・。(記:宇根)





2013年9月18日水曜日

外の風を取りこみ、中の風を温かく巡らす


夏休みをはさみ、久しぶりに歌津地区の某仮設のお茶会に混ぜていただきました。


4回、5回と回を重ねるにつれ、参加者とHUGハウススタッフお互いが打ち溶けてきているようです。今日は、全員で一つのテーブルを囲むスタイルから、参加者の方々とスタッフがそれぞれ話している形になっていました。今の事、日常の事、周辺の出来事などの話の合間に、時折、震災の出来事をポツリ、ポツリと話されます。スタッフもじっと耳を傾けます。

途中、参加者の一人の誕生日を祝いたいと、ある方が音頭を取り、参加者全員で「♪ハッピーバースデー」を歌いました。始めは照れ臭そうに「いいから、いいから」といわれていた誕生者も、最後は「祝ってもらうって良いもんだなぁ」と喜んでいらっしゃいました。「いのち」を共に祝う。お互いにとって、とてもスピリチュアルな行為だなと思います。

 

カフェを彩るお花。
参加者が持ち寄り、いけてくれた。
震災によって出会った外部の人から、大きな刺激を受けているとお話された方がありました。その方にとってこの出会いは、癒しであり、視野を広げ、心を明るい方へ無限に導くのだそうです。このお話に、スタッフも心躍ります。出会った方は、カフェを経営していると聞きました。そこで是非このカフェを訪れてみたいということになりました。

 

さて、早速事務所への帰りに、歌津の海岸沿いに車を走らせると、少し小高くなっている場所に、トレーラーハウスのカフェ「かふぇかなっぺ」を発見。中に入って見ると、若いご夫婦がおそろいのエプロンをつけ、どの席からも海を一望できるようセッティングされた椅子へ招かれました。そこで感じた空気、交わした言葉などを地元スタッフに報告していただきます。(以下)

出されたプリンとその価格にも感動し、
目を輝かすスタッフ。
 

「そこは、静香で暖かい空間でした。私達の声がけに淡々と[二人のゴールは同じ]とおっしゃるKさんに熱いものを感じたのは、私だけでしょうか…。」(記:ゆうちゃん)

 

「横浜からいらして歌津の人と結婚したかなっぺの奥さんの話がとても感動した。自分の居場所だと思ったということ…この土地のすばらしさを話してくれ、私達が気付かない事を教えていただいたようだ。」(記:すみちゃん)

 

故郷の町をこんなに好いてくれる人がいる、こんなに新しいまなざしで見てくれる人がいる、ここにある自然が私の体とぴったり合い癒してくれるという人がいるということを知った地元スタッフは、深く感動し、共感し、新たな可能性を感じ、目をキラキラ、ウルウルさせながらご夫婦の話を伺っていました。これからのこのご夫婦の歩みの幸を願い、また私達の歩みに新たな可能性を感じたひと時でした。

 

午後からは、別の仮設に個別訪問に出かけました。訪問させていただいた方々のお話から、震災後の様々な生き様や心を伺い知ることができます。





こんな風に語って下さった方がありました。

「『宵待草』の歌詞がわたしの心を表している。」

未だ見つからないご家族の一人。流された、とびきりのマイホーム。未解決のままの震災、見えない未来、あるのは「今」という瞬間。過去と和解したい、でもどこにしがみつけば良いか…と思いずっとずっともがかれてきた。心に何かの区切りをつけられる日は来るのか…そんな叫びが聞こえてきます。

スタッフは、聴かせていただく方の思いや状況に、ただただ耳を傾けることしかできないもどかしさを感じつつ、自分の弱さにじっとこらえ、しかししっかと聴き受け止めます。祈りなしには、向き合えない日々の出会いです。(記:林)

2013年9月17日火曜日

嬉しい瞬間、笑顔を共にしたい

今日は歌津方面の個別訪問の日でした。
活動の報告を地元スタッフのようちゃんと、るみちゃんにしてもらいます。

ようちゃんからは、出会いの中で感じた「嬉しい瞬間」の報告です。
「カフェでは、終始、元気にご自分の昔の事、家族の事などを話してくださったKさん。カフェが終わる頃、『いじめられたって,悔しくたって、泣かない! 優しくされると涙が出る・・・ありがとう』」そうおっしゃい、流れた涙を拭きながら笑顔で私を見つめてくれました。特に優しくしたわけではないのだけれど、心をこめて聴いただけ。
 いつも、出会いがその方にとって果たして良かったのだろうか!?そんな不安を持ちながら日々、悩み、勉強しながらの活動の中。ちょっと報われた、嬉しい瞬間でした」(記:ようちゃん)

るみちゃんの報告です
「今日は青空が気持ち良い天気でした。今日の出会いも私の関わった方皆さんの心もこんな感じに晴れ晴れしてくれる事を祈りつつ訪問に向かいました。

今日の出会いでは…毎日毎日、悩んで何をしても意欲がわかないとお話しをしてくれる女性との出会いでした。1時間位の訪問でしたが少しでも話せた事によって帰り際に相手の方の笑顔が一度でも見れたのでこの笑顔が毎日、徐々に増えてくれる事を願って今日の晴れわたる空を見つめて来ました。
頑張って一緒に歩みよれたらいいなぁと感じています。」(記:るみちゃん)


9月は、通信の発行の月です。徐々に通信の作成を行い始めました。出来上がり次第、皆様の手元に届きまあす、どうz楽しみに。(記:宇根)