2013年6月28日金曜日

「続けてくれること」が支えになる


6月ももう終わりというのに、肌寒さを感じます。しかし、本日は朝から熱いミーティングとなりました。内容は、よりよいケアや、コミュニティーサポートの為に、訪問する集会場の状況に合わせて、働きかけの方法を模索するというものです。本日取り上げられた集会場のケースでは、訪問のマンネリ化です。何かイベントを打った方がいいのか、コミュニティーの自立を促すようにした方がいいのか…。その中で、地元スタッフが声をあげました。「一見マンネリ化しているお茶会でも、参加される被災者の心は揺れています。だから、おだやかに『続けてくれる』ことが、今必要です。良い意味の「マンネリ化」の中で寄り添い、留まってほしいです。」…貴重な意見でした。HUGハウスの信念をもう一度確認させられるような瞬間でした。

 


スタッフがところどころに入って傾聴。

みなし仮設から自分の新築に
移られたかたを訪問。
 本日開催された、みなし仮設の集会場では、久しぶりに顔を見せてくださった方がありました。突然の入院で心配していましたが、今日は出席して下さいました。同じ場所に住んでいても、このような集まりでしか、なかなか顔を合わせることができないようです。そこで、まず始めに皆で退院を喜びあいました。Sさんの嬉しそうな表情が印象的でした。
 今日も、参加者の素敵な手料理を頬張りながら、おだやかなひと時を過ごしました。

 


ブランケットからの自立を
試みるライナスのシーン。
 午後からは、スタッフ研修が行われました。まず始めに、スヌーピーでおなじみの「ピーナッツ」DVDが上映され、お気に入りのブランケットをなかなか手放せないライナスが題材に取り上げられました。タイトルは「私のブランケット」。周りの友達は、様々な方法でライナスをブランケットから自立させようとします。ライナスは、ブランケットさえあれば自分らしく生きられるのに…。そこで、スタッフも「私が私らしく生きられる宝物・支えになるもの」を意識化するワークをしました。このワークを通して、訪問先の方の「ブランケット=支えになるもの」を聞かせていただいた時に、無理に話し手からブランケットを離して自立させようとしたり、アドバイスしたりしないことを学びました。
「私のブランケット」ワークの後の、
訪問記録の検討会。

まさに、今朝のミーティングの内容と共鳴していました。

HUGさんからは、話し手とどんなに親しくても、相手の気持ち気持にはなれないので、丁寧に話を聞き、どのような聴き方、寄り添い方をすれば、あなたの力になりますか?という心持で傾聴活動に臨んでほしいとアドバイスがありました。(記:林)



 

2013年6月27日木曜日

生きる原動力に支えられたい

「わたしがガンでした。でもね、もう何ともないのね。もう治ってしまって、ほらこんなに元気」

 ある仮設住宅でケアカフェを開いた時に参加した高齢の女性が話していた言葉です。昨年の暮れ前に元気になった自分を紹介しながら、世話を観ていた孫と楽しそうにしている姿が記憶に残っています。
 
今日、地元スタッフより、その方が旅立ったという知らせを聞きました。
癌の進行が早くそれが原因のようでした。「もう治ったからね」と話していた言葉とは別に、癌は進行していたのかもしれません・・・・。朝のミーティング時にこの知らせを聞きましたが、あきえさんの修道会でも日本のために支援してくれていた方が旅立たれたという報告もありました。

 今日の朝のミーティングはスタッフ全員で沈黙をしつつ、旅立たれたお二人のために黙祷を捧げる時間となりました。黙祷と言う祈りを捧げる・・・、この行為を共にできるのはとても有難いと感じます。限界にぶつかった時に、そこにとどまってしまわずに前に進めるための一つの心の力に繋がるものが「祈る」ということなのかもしれないと思うからです。仮設住宅で暮らしていて癌で旅立った女性が抱えていた家族間の課題は大きいもので、どうにもならない感じさえ持ってしまいます・・・。それでもその限界に留まらずに何か期待出来る心を持てるようになりたい。黙祷の時間は、その力の発源であると信じたいものです。

 今日の活動は、地元スタッフのるみちゃん。えみちゃんとあきえさんが終日南方方面の訪問に出かけました。

 仮設住宅では、現在花を育てるのが生きがいと話す方と出会ってきました。花が育っていくのを見ているのがこころ落ち着くと話すその方は、「綺麗に育っていることを褒めてもらいたいよ。言葉で褒められるというのは必要だよ」と話していましたが、褒めてもらうことも認められるということなのでしょう。自分を認めてもらえる事がどんなに力になるのか・・・、今日の出会いは再確認です。
 また、他にも一人暮らしの男性と昼食を一緒に取りながら時間を過ごしてきたスタッフには、「ものが何もかもなくなっても、自分が心開いていければ人が集まってくる」ことに今を生きる原動力にしていることを教えてもらえた事は喜びだったようです。


 午後には、とめ市民プラザを表敬訪問。出来上がった通信「こころの風」を手渡してきました。この市民プラザの紹介で、市内のNPO「さくらんぼクラブ」の代表熊谷さんとも話をする時間を持てました。HUGハウスの活動に関心をもっていただき今後の連携の話にもなりました。
 貴重な時間を割いていただきましたことに心より感謝です、有難うございました。(記:宇根)







 

2013年6月26日水曜日

不平等の世で「生きる」


深い霧で覆われていた歌津地区。
お茶会が始まる前に出会いがありました。


霧の晴れ間を縫いながら、今日も車を走らせました。

仮設住民が自主的に行っているお茶会に混ぜていただき、お話を伺いました。

 

聞こえてくる訴えは、感じてしまう様々な格差に対する思いです。

同じ仮設に住む者同士でも、いただけるものがあったり、なかったり、

様々な個人の事情や能力、体調、人間関係などによって、受けられる支援があったり、なかったり、よその仮設との様々な支援の違い(例えばお茶会が「ある・ない」)を知ってしまったり… 

ボランティア他団体の集まりで、
能力を生かして楽しまれる方々。
目に見える様々な違いは、「サービスの格差」と見てしまい、「不平等」という気持ちになり、ひいてはそれぞれの「いのちの重み」が不平等に扱われたかのような感覚に襲われるのかもしれません。

平等にいただいたもの、それは、一人一つの「いのち」だけかもしれません。
生後一週間の新しい「いのち」を
見せていただき、愛でることができました。

不平等を何十年と生き抜いて来られても、慣れるものではありません。今また新たにやってきた「不平等」が心に挑戦してきます。しかしお話をうかがっていると、いただいた「いのち」の生かし方にもたくさんの違いがあることに気付きます。格差や不平等に見える現実を受けて生きていらっしゃるその姿は、返って「いのちの重み」を増しているようにも見えます。
 
 
曲 
 


がった腰を起こして、私たちを見送る参加者の姿が、そう気づかせてくれました。(記:林)

2013年6月25日火曜日

被災地で今を生きる厳しさの中

  津波に流されてしまった土地の中には、自宅再建が難しく高台移転をせざるを得ない世帯が多い。

 その中で、再建が難しい土地を町が買い上げる相談が、各世帯と町の間で交わされており、世帯によっては条件を認め売買の契約を交わしている所も多いようです。自分の土地を手放すしかない人にとっては様々な思いが交錯しているのでしょう・・・。

 それだけでなく、土地の売買に絡んで多くの課題が浮上してきているのも現実のようです。
 町が提示した額を納得できないために、なかなか話が進まなかったり・・・。高台移転のために土地を提供すると初めに話していた地主の思惑によって、簡単に進まない現状に陥ったり・・・。仮設住宅に提供していた地主によっては返却を求める声や金銭的な問題が複雑になってきてしまったり・・・。このような現状の中で、今を懸命に生き、将来に夢を託しながら、諦めずに踏みとどまる住人の心は、日々おおきく揺れ動いているようです。

 このような現実の中で地元スタッフも日々、心の揺れを感じつつ悲しむいのち、痛む命に寄り添うのですが、日によっては他者の心に寄り添えなくなる時もあります。自分のこころの状態を素直に認め今の自分の感情に気がつき認めていく事をするのも地元スタフの大きな努めだと思います。

 今日は、終日三滝堂にて通信の発送作業を行いつつ、ゆっくり時間を過ごし自分を見つめる時間にもなったようです。通信発送作業が一段落した午後には、参加者で草取りも行い体を動かし汗をかく事で気分転換も図りました。

 通信は一部発送も済ませる事ができました。
また明日から訪問が始まりますが、一新した心で住人に向き合っていけるようにしたいと思います。
(記:宇根)



2013年6月24日月曜日

相手の中にある力を信じる

 先週、スピリチュアルカウンセラーの資格取得のために研修会に参加していたあきえさんが今日から活動に復帰しました。


 そのあきえさんに朝のミーティング時に、研修の感想を分かち合っていただきました(写真左)。その中で、「話を聴いている時に解決のしようがないような話になった時でも、その人の中に力があると信じて向き合う姿勢が大切だと学んだ」という感想を分かち合ってくださいました。とても大切なことだと実感します。


 今日は町内の仮設住宅と老人施設での訪問を行いました。その出会いの中で、津波に家族が流されてしまった方が「何で、こんなことになったのだろう」と何時も思うと話してくださいました。他のある方も、「何で、こうなったんだろう」と話されていたようです。
 震災で家族が流され亡くなった方々、何もかも流され本当に大切にしてきた価値あるものを奪われた経験をされた方にとっては、この震災・津波の経験は心に何でなの?という叫びを生み出したかもしれません。訪問に行くと、この「何でこうなったんだろう?」という叫びには多く出会い、向き合う側も何と答えたらいいいのか窮する場面も多くあります。そのような時にこそ、その人の中にこの問に向き合っていける力があると信じれるかどうかが問われるのかもしれません。そのような問や叫びに出会う時にこそ、私達の力量を絶えず見直す機会なのでしょう、そのような出会いの時にこそ感謝なのかも。


  今日から通信の発送作業が始まりました。法人格取得後の初めての通信になります。明日以降も発送作業を行い、もうすぐ皆様の手元に届くことでしょう、どうぞお楽しみに。

 夕方には、あきえさんの修道会のシスターレオニーらさんが三滝堂を訪問してくださいました(写真右)。昨年の訪問以来の再訪でした。その元気な姿勢とユーモアに、とても元気をもらえました。明日までの滞在のようですが、予期時間を過ごされますように願っています(記:宇根)


2013年6月22日土曜日

おもちゃ図書館の日

今日は第4土曜日。定例のおもちゃ図書館の日です。カフェの提供と交流のために参加しました。今日の参加者はいつもより少なめでしたが、子どもたちは元気です。秋には旅行の計画もあるようなので楽しみですね。2年越しの自分たちの居場所になる予定の基礎工事がようやくスタートしたようです。一日も早く完成するといいですね。(記:堤)

2013年6月21日金曜日

人と人をつなぎ、友だちづくりのお手伝い


 ◆今日の活動はフリー&個別訪問の日でした。地元スタッフはルミちゃんです。登米市内の仮設住宅と家を再建し引越しをして南三陸を離れて生活している方々を訪問しました。

◆引越前に不安を訴えていた80代女性、なかなか会えず、4~5回の訪問でやっと会えました。
日中は一人で過ごし、近所の方とも交流したり友だちを作ったりということもなく「さみしい」日々を過ごしていた様子。地元スタッフが訪問するとすぐに家にあげて下さりたくさん話を聴かせてくださいました。編み物をしては南三陸に行く人に預け、誰かにプレゼントすることでコミュニケーションをとっているのと。また津波で流された家族の供養も毎日かかさないと。帰って欲しくないオーラも受け取りました。

◆その女性は、”歩いて、5分くらいのところに同じように南三陸から引越しをして来られた方がいるらしい。でも一人ではなかなか訪ねて行けない。” そうスタッフに話し、一緒に行くことにしました。

訪問した方も、津波で家族を亡くされた方でした。訪問を喜んで下さり、しばらく一緒に時間を過ごしました。(写真左と右下)

◆帰るときは、”一度来たから、これからは一人で来れるね。” と安心した様子でした。『友だち見つけてよかったね!』

一人ぼっちでも、さみしくても、友だちがほしくても、ひとりではちょっと勇気がない。そんな中で、スタッフが間に入り、一緒に訪問する事で、人と人をつなぎ、友だちづくりのお手伝いが出来ました。今日の出会いと働きに感謝!! ルミちゃんお疲れ様でした。



仮設住宅 ベンチでくつろぐ姿

◆おしょうさんは、今日は朝から釜石です。月1回の定期訪問です。昨日は、訪問を待ちきれず「声が聴きたくなったの」と連絡がありました。きっといい出会いをしていることでしょう。(記:堤)

2013年6月20日木曜日

相手の中にある感情は?先入観なしで聴く

いつも一緒に過ごしてきた幼馴染が、旅立ってしまう事にはどのような気持ちが出てくるのだろう・・

 今日は、ある仮設住宅の個別訪問を行いました。訪問先の一人の方が、先日幼馴染に旅立たれていました。その方の思いを聴かせていただきましたが、幼馴染の友人との別れについては、「悔しい」という言葉で表現されました。

 人の心の内に現れる感じ方には、本当に種々あるのが分かります。友人との別れを悲しいのでは?辛いのでは?と思っていても、本人が一番感じているのは別の感じ方だったのが驚きでした。話をする方の感情は、必ずしもこちらが思ってるものとは同じではない・・・今日ので出会いはそれを教えてくれたように感じます。

 聴く側の先入観と思い込みで話を聴いていくと、話している人が味わっている感じ方と少しづつズレていきかねません。正しくその人の感じ方を捉え、それに寄り添っていけるセンスを養いながら聴く力を身につけていきたいものです。


 訪問した先で、以前の志津川地区の地図を見せてくれた方がおられました。「ここが私の家があったところ」と指差す場所に小さく書かれた名前と区画がありました。地図には、震災以前に住んでいた証がしっかりと残っていました。「ここには○○があって、ここには誰々さんが居て・・・」と話す顔は嬉しそうでした。記憶の中だけではなく、生きてきた証を今度集まる孫たちにも話をするそうですが、記憶だけでなく生きている孫たちの中にも息づいていく記憶になるといいなと思います。


  午後に、訪問した仮設住宅で出会った方は、孫の母親が津波に流された後に泣こうとしない事を教えてくれました。また、孫を心配して声かけると、孫から「自分だけでないんだから」と逆に諭されることもあるそうです。
 悲しいはずがないのに、泣かない事を選んで過ごすその孫さんの思いに、スタッフ一同、居たたまれない気持ちになりました。

 きっとそのお孫さんも泣かないようにしている理由を持っているのだと思います。今のところは、そのお孫さんと出会いはありませんが、深い悲しみの中で反応するこころの一つのあり方を私達の中でちゃんと留めておきたいものだと思います。(記:宇根)


 

2013年6月19日水曜日

自分を取り戻す時間~cocoタイム~

 今日の南三陸町は雨・・・昨日、梅雨入り宣言が例年より1週間ほど遅れてなされましたが、梅雨入に相応しいほどの雨模様でした。三滝堂の花も芝生も生き生きしています。


 今日は、三滝堂にて、ゆっくりした時間を持ちました。

 日頃、忙しさや様々な役割の中で生きている内に、自分らしさを味わう時間も余裕も無いことさえ、つい忘れてしまいかねせん。

 ゆっくりと余裕を持ち、いろいろなものから離れて見ることで見えてくる自分に気がつけたらどんなにいいでしょうか・・・。またゆっくりした時間と安心出来る人との話の中で、自分に必要なことやものが何かに気づける機会が持てたらどんなにいいでしょうか・・・。このような時間や機会や人を、ここ三滝堂を使って味わえるといいなーと思います。ちなみにそのような時間は、「cocoタイム」とでも言いましょうか。

 活動の午後は、三滝堂近くの米谷住宅への個別訪問を行いました。

 また近くに自宅を再建された方の元へも訪問に行きました。ここ何回か訪問していても出会えていない方ですが、今日も会えませんでした。出会いのチャンスが訪れる日を待ちつつ、相応しい心を維持していくのも大きな仕事の一つなのでしょう。(記:宇根)


2013年6月18日火曜日

震災はどのような現実を示したのか・・・。

 「背骨を痛めてしまった・・・、こうして骨と皮ばかりになって。背骨を痛めたのは、避難している時に家族のために毎日水を汲んで歩いていたからさ、それで背骨を疲労骨折・・・」

 と教えてくれたのは、ある仮設住宅で暮らす方。震災後の生活の大変さを物語るように、震災後1年は話もろくにできなかったとか。家族のために骨身を削って・・・という表現が相応しいくらい。ご本人に、「家族のために骨身を削りましたね」と応えると、嬉しそうに笑っておられました。震災という体験が何を大事に守るべきかを教えられ体験されたのかもしれません。
 また、ある方は、震災によって一緒に暮らすことになった家族との関係がギクシャクしている事に心痛めていました。「こういう時期だからこそ、家族がお互いに優しく、いたわり合い、仲良くするべきなんだろうにね・・・それが出来ない。それが何より悲しい」と心境を話してくれました。震災によって初めてギクシャクした関係に正面から向き合うようになったようです。

 震災は、その被害を受けた方々に、色々な経験をさせたのかもしれません。

これまで考えていなかった事や関係性、信頼できるものとは何か・・・等など。その人、一人一人によって考える事は違うでしょうが、震災という未曾有のしかも危機的な体験は、一人一人に多くの現実を投げかけたようです。それによってその人生に、その生き方にどのような影響が及ぼされていくのでしょうか。
 私たちは、日々の出会いによってその事を教えてもらっているかもしれません。



今日は、歌津地区の仮設住宅での「ケアカフェ心香」の開催でした。
 「話を聴いて欲しかったからあなたたちを待っていたの」と話し、1時間近く話しをされた方。
 集まってきた親しい友の笑い声に、「この人たちの集まりに震災の辛さを忘れさせられた」と話す方。
「自分の出身地の言葉で思いっきり話し、それを聴いてもらえたのですっきりした」と話す方・・・今日は、カフェの中でも、それぞれが自分を癒す方法や人を通して貴重な時間を過ごしたようです。
 今日の出会いを感謝です(記:宇根)

2013年6月17日月曜日

一人一人違う癒しの歩み

 震災で失ったものがあまりにも大きかった・・・、

今日出会ったある高齢の女性は、震災の話をしだすと涙が止まらなくなりました。その方は、いつも出かけると花を買ってくるそうです。仮設住宅玄関前は買ってきた花でいっぱいになっていましたが、「こうして花が増えてくるのがいいの、花を買ってきて増やしていくと心が癒されてくるような気がする」と話していました。

 購入した花の手入れまでは出来ず枯らしてしまうようですが、流された元の家のように花を増やしていくことで、ご自分の心の安定を図っている姿が印象に残ります。震災で失ったものの大きさに心が泣いている・・・のかもしれない、スタッフはそう感想を持ちました。これからの季節、多くの花たちが癒してくれることを願いたいものです。


  一方、他のある方は、前回お会いした時より泣かなくなったと話していました。泣いている時間が少しづつ減ってきているようでした。

 その方の悲しみは、震災の直前に旅立ったご主人との別れが原因です。でも、今はそのご主人の写真を持って毎日夕方16時にはテレビの前に座るそうです。ご主人の好きだった「水戸黄門」を一緒に観るからだと話してくれていました。今も一緒に観ていてくれる・・・、別れの悲しみから生まれたのは死を超えた繋がりなのかも。


 今日は終日、仮設の個別訪問でした。上記の出会いの他にも、多くの方々との出会いもありました。ある東屋で集まっていた方が、しっかりと覚えていてくれてスタッフも嬉しくなりました。
 その中でも、「こころのケア」について行ったワンポイントレッスンの中身まで覚えていてくれた方がおられました。「ためになること・・」と言い残して用事に帰られた方に、今度お会いしたらためになっている内容を是非、聞かせてもらいたいと思いました。(記:宇根)

2013年6月14日金曜日

「懐かしい味」で蘇る記憶


今日は午前中、見なし仮設の集会場でカフェを行ないました。住民の方々が自主的にカフェを開催するようになったこちらでは、毎回、たくさんのお料理が振る舞われます。お互いのお料理を盛り付け、ケアカフェ開始です。

毎月二回行われるこちらのカフェは、始まってから約一年が経ちます。地元スタッフは、ある変化に気付きました。それは、カフェ開始当時、突き刺すような眼で、震災後に起こった様々な人間模様に対する「怒り」を語られていた方が、今日は同じ震災の事を柔らかい目と優しい表情で、冗談交じりに語られていたということです。繰り返して語っていくうちに、「怒り」で覆いかぶされていた心を、ご自分なりに腹に納められ始めたのでしょうか。「生傷」から「傷跡」への変化。「痛み」を無理やりコントロールするのではなく、忍耐して付き合いながら、自然に癒えていくプロセスが必要でしょう。小さな「癒し」の時を確認した瞬間でした。


 一方、老人施設にいらっしゃる被災者の方の訪問もさせていただきました。

前回訪問した際、「『がんずき』が食べたい」と言われたのを覚えていたスタッフは、施設の職員さんの了解を得て、「がんずき」を差し入れ。一緒に食べながらひと時を過ごしました。すると、涙を流して喜ばれ、「久しぶりに食べたや~」と良く味わいながら召し上がられました。実はこの方にとって「がんずき」は、昔から食べていた「懐かしの味」なのです。

震災後、認知症を患われるようになり、多くの事を忘れてしまわれるようになりましたが、「懐かしの味」で表情が豊かになり、昔の記憶を取り戻されたようでした。
そして、はっきりとした目と言葉から、確かにここにいる「自分」も取り戻されたようでした。
(記:林)



 また今日は、HUGさんが神戸の愛徳女学院での講演会に講師として招かれました。
対象は中学校1年生から高校3年生まで約300人。先生方、父兄の方々、シスター方も何人か参加されたようです。


 被災地のことを話してほしいと依頼を受け「被災地で愛を生きる~痛むいのち悲しむいのちに寄り添う支援」というテーマで講演をしました。一緒に沈黙とアイコンタクトのワークも行いました。アイコンタクトは生徒も先生もテレや恥ずかしさでなかなかうまく出来なかったようですが、それでも相手のまなざしを通して「やさしさ」や「あたたかさ」を受けとることができたのは良かったです。苦しみの中にある方々と接するときの心構えや緊張感を少しでも体感できたならうれしく思います。
 これからも被災地の支援を続けるということ。「忘れない心」を生き続けてほしいと思います。この機会と出会いに感謝いたします。愛徳学園のみなさんありがとうございました。(記:堤)








2013年6月13日木曜日

「開き直る」という強さ

「諦めですかね・・・開き直ったという方がいいかも」

 ある方が話してくださった言葉です。その方は、仮設入居後に病で視力に障害が出てしまいました。突然、視力を奪われるという現実の中でも、その方は明るさを失っていません。以前訪問した際には、「なーに、今は強がっているだけですよ。これが数ヶ月したら、どうなってるか分かりません」と話していました。今日、数ヶ月ぶりに訪問してみると、その前向きさに変化はありませんでした。むしろ、以前より敏感になっているようにさえ感じました。

訪問中にいただいた漬物
その方に、明るさの力をどこから汲み取っているかお聴きすると、「諦めですかね・・・開き直ったと言う方がいいかも」と返事が帰ってきました。その言葉には、決して投げてしまう意味での諦めではなく、積極的に現実を引き受けて生きようとする前向きな諦め・・という内容が含まれているのが分かりました。

仮設の談話室で・・。
受け入れたくない現実を引き受けて自分なりの生き方を探しながらも懸命に生きる。難しいですが、それを実践している姿を見せていただけるのを嬉しく思います。


 今日の活動では仮設住宅への個別訪問、隣接した隣町の登米市内の在宅方々を訪問いたしました。

 ある在宅を訪問すると、とても綺麗なバラの庭を見せていただきました。バラだけでなく、野菜もきっちりと測ったように植えられていました。震災以前には殆ど寝たきりの状態で外にも出られていなかった方のようです。震災は大きくその方の生き方を変えるきっかけを与えてくれたのかもしれません。

 突然に降りかかってくる様々な困難な状況にあっても、自分を保ちつつ自分らしく生きていける・・、今日の出会いはそのような人の強さを教えて頂けたのかもしれません。
 被災地で示される人の姿に励まされながら生きているように感じます。


夜には、とめ市民活動プラザ(写真左)主催の「第1回とめり場」の参加しました。登米市内の市民活動をしているNPOが集まり交流をするという内容。私たちは一般社団法人ですが、多くの出会いの可能性のために参加をお願いし今回の出席となりました。

 会には約15の団体の出席がありました(写真右)。HUGハウスの紹介を行い、幾つかの団体との交流を深めることが出来ました。スピリチュアルケアやカウンセリングへの興味を持っておられる方との出会いや、活動の中で支援している方々のいろいろな苦しみに寄り添うという方法を模索していたところなので興味があった・・・などの意見をいただけ今後の繋がりの大切さと協働の可能性を感じることが出来た時間でした。
 良い企画をしてくださり参加を快く引き受けえくださった「しみんプラザ」の皆さんに感謝です。http://blog.canpan.info/tomepura/

なおHUGさんは、神戸の「愛徳学園」での講演(被災地での活動について)のために今日より神戸へ出張です。

(記:宇根)